白石隆浩容疑者:全く見えてこない被害者達。。。

日本を冷感させている白石隆浩容疑者の9人殺害。。。

全く見えてこない被害者達



 殺人が発覚してからここ数日被害者の姿が全く見えてこない。
お兄さんが見つけたケースとカップルのケースは分かったのだろうがその他6人がまだ見えない。

白石隆浩容疑者の殺人事件は病理的社会の側面をあぶり出している。
その主役はツイッターだ

病理的ツールとしてのSNS



 SNSは沢山の種類があるが、その中でもツイッターはもう老舗になるのだろう。

まずツイッターは「負の共感」ツールと化している部分がある。

 今の若い人々はLINEの方が主流なのではと思うのだけど。。。
LINEは比較的クローズドな人間関係なのだろう。ツイッターはより匿名性が高くオープンなメディアなので利用される傾向が強い。

 SNSの普及はより個人的嗜好や個人的性向を持った人々が繋がるツールになっている傾向があり、それらの人々の類は友を呼ぶツール。いわゆる類友ツールになっている。

インターネットの進化と個人道具としてのスマートフォン



 インターネットは当初は世界的ツールに始まり、次はローカルツールに、その次はパーソナルツールになった。
今はそのパーソナルツールによって同じ感覚の人々が繋がる道具になり、共感する人々が集うツールへと進化した。

このパーソナルツールは他の人々に見られる機会はほとんど無いので個人情報保護法と共にまさにパーソナルな守秘義務を持った道具化している事が上げられる。

人の日記を見る奴はいない



 まず自分の子供でも子供の日記を盗み見る親はあまりいないはずだ。
夫婦でも同様。相手のスマートフォンを盗み見る夫婦はいるだろうがあまりいない筈だ。
結局、居場所が無くなった人間が最後たどり着くのがSNSになるのだと思う。

ところが結局は人を救うのもまた人になる。

 人を求めている事の裏返しだ。
もし人が本当に人に対して絶望している場合は共感者を求めたりはしない。
あくまで自分のみを捉え、他者全てをシャットアウトするはずだ。
しかし、それは出来ない。やはりどこかで人に救いを求めているから誰か共感者を探す。

共感ツールとしてスマートフォンが最高の道具になった

 この現象をどう捉えるかまだ社会理解が進んでいない。
学校や職場で孤独や疎外感を感じた人々は行き場を失っている。
しかし共感は得たいという人間の欲求が人を求める。

共感(きょうかん、英語:empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。通常は、人間に本能的に備わっているものである。しかし、例えば反社会性パーソナリティ障害やサイコパスの人物では、“共感の欠如”が、見られる。近藤章久は深い共感と直観を精神治療の根幹とした。

共感性がたとえば友情を生み出す。友人になったきっかけは、「何となく」であることが多いが、「何となく」の本性は、共感性である。

動物においても類似の例はあり、たとえばコンラート・ローレンツはガンが湖に群れで舞い降り、また新たな餌場に移動する際に、鳴き声を互いに聞くことで気分を共有するのだと論じている。


病的な人々は病的な人を求める、ここに掲載は躊躇する程。。



 ツイッター病的な側面をどう捉えるのか。。。。

病んでいる若者が多いのかたまたま多く見えるのか。。。。
ツイッターには自傷行為が溢れている。

これらに影響をうける他者がいても不思議では無いだろう。
ただ、これらは規制してもまたどこかに潜るだけになる。
抜本的な社会救済を持ち得るのか。。。。
多分、私達はまだ答えを見いだせていないと言える。。。


(記事 ネットフロイド株式会社)

投稿日:2017-11-03


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